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【対談】気候難民厚生コミュニティ専門家会議・スピンオフ対談~新垣修さん×小林誠道さん~



​極端な気象現象、資源の減少、それらを遠因とした紛争・・・。それらによって住処を追われ、移住を余儀なくされる人たちが年々増えています。 オシンテックは、そうした気候変動を要因として発生する「気候難民/気候強制移動」に対する国際協力のための環境省の事業(気候難民の厚生に資する産官学連携適応国際協力コミュニティ振興業務)に、RuleWatcherの提供で関わっています。 この会議の議長である新垣修さんと「気候変動適応(変化する気候に備える)」のデータセットを担当するオシンテックの小林誠道さんに、それぞれの立場から、この問題について対談を行っていただきました。

(文・司会:小田一枝)




新垣修(あらかきおさむ)

国際基督教大学教授。長年国際法と難民問題に携わる。環境省主幹「気候難民の厚生に資する産官学連携適応国際協力コミュニティ振興業務専門家会議」議長。




小林誠道(こばやしまさみち)

関西大学大学院1回生。防災・減災、気候変動と台風の関係を研究中。気候変動に関する市民活動を精力的に行っている。株式会社オシンテックにて気候変動適応の情報収集を担当。








どうやって「自分ごと」に?


小林:いまは大学院で防災について研究しています。オシンテックではそれを活かして気候変動適応のルールトレンド(註:情報収集ツールRuleWatcherのデータセットの一つ)を担当しています。将来を担う一人として問題提起したいと思うのは、気候変動で難民になる人をどう自分事化するかという点。気象災害となれば自分事として捉える人も多いですが、難民となるとそうならない。RuleWatcherで取得する記事の中に、9月に発生したナイジェリアの洪水の記事(一次情報)が上がってきています。そこでは国内避難民が4万人近く発生していると。今月(2022年11月)のCOP27で取り上げられるのは、気候変動の緊急時への備えについてで、いまから投資が必要であるという点ですが、ナイジェリアの問題はそれがまさに現れているケースです。気候変動緩和と違って、適応分野は、その需要が現場ごとで違っています。この点、日本は防災分野で途上国で使える知見があると思っています。私たち日本は、気候難民をどう捉えるべきなのでしょうか



まだ生まれない世代に


新垣:いくつか論点がありましたね。どれも大切ですが、まずは、世代間のことについて話しましょう。小林さんのような若い世代は、気候変動などの問題に危機感を持つ人も多いでしょう。私たちの世代には、「責任」の問題があります。私は高度成長もバブルも見てきたわけです。その代償はなんだったのか。負債を次の世代に押し付けているのではないか。撤退していく世代であったとしても、かつての行為に無自覚であったとしても、この世代にはこれまでのことについて振り返る責任があります。そして、一緒に考えないといけない立場だとも思います。若い世代は、可能性を持っていて発想が柔らかいし、こちらがまったく持っていない世界観も、情報も、技術もある。だから、取り組むべきなのは世代間協力です。まだ生まれていない未来の世代を考えれば、私たちの世代は共通の責任を持っているとも言えます。いま存在している世代が、未来にむけて協力していくことが必要です。




本当に遠くの問題なのか


新垣:次の論点としては、「遠くかけ離れたところで起こっている」という表現について。これは、私が長らくかかわってきた貧困問題、難民、強制移動でも同じです。これらについてよく言われるのが「地球の裏側で」ということば。しかし、ナイジェリアの問題は、本当に日本からかけ離れているのでしょうか。かつて日本は、難民を受け入れるという立場でしたが、ミクロのレベルで見つめてみれば、日本国内でも住居を失う人たちは目に見える形になってきています。これは感染症の問題とも似ています。1970年代には、「感染症の時代はおわった」という表現も登場しました。WHOや米ソ協力で天然痘が撲滅できたことがその背景の一つにあったんですが、その後、HIV/エイズが始まった。さらにまた人獣共通感染症、今回の新型コロナのような。コロナもまた、先進国でも防御できなかった。感染症という課題には南も北もないということが顕在化したんですね。このようにして、感染症を通じ、私たちが、そして地球が一体化している、ということをネガティブな局面で認識しました



越境はしなくとも、住まいを追われる


新垣:1980年代から90年代はじめの議論は、気候変動がひどくなったら、南側の多数の人々が国境を越えて北側に押し寄せる、というものでした。しかし現実はそうではなく、国境を越えない国内避難民の数が圧倒的です。アメリカでは、住処を移動する要因として気候変動の介在が顕著になっているそうです。日本でも、極端気象現象で住処を一週間、数か月と離れて過ごすケースが増えているのではないでしょうか。いうなればその人たちだって、気候強制移動の対象者。こんなふうに、日本でもすでに足元で起こっているわけで、世界共通の問題です。



 


認識と分断


小林:ぼくの専門は防災減災なんですが、その点日本では地震が注目されがちです、しかし近年は急速に台風や大雨を起因とする風水害・土砂災害による甚大な被害事例なども目立ちます。こうした気象による強制移動をもはや認めざるを得ないところに来ていると自分も思います。どうも、気候変動というと、テレビなどで決まって表現されるのは北極や南極の氷山が崩れるなどのお決まりの画像ですが、本当は台風被害などを見せた方が日本人にはもっと重要度が伝わるだろうと思っています。いろいろな問題を自分と切り離しているのを、いかに自分事にするか。こうした認識も、世代間の認識もそうだが、さらに若者の中でも分断が起きていると思っています。気候変動の活動を三年前からやっていますが、そういう活動をする若者は決して多数派ではありません。いまだに人為起源の気候変動なのかどうか、といった議論になったりしていますから。考え方の違いで断絶もしています。こうした分断を乗り越える方法として、ぼくが取り組んだのがスローガンや伝え方の工夫でした。今回の気候強制移動の問題でも、「コミュニティ」の力に期待するところが大きいが、分断を乗り越えるコミュニティのありかたについて先生はどう考えておられますか。




新垣:重要かつ難しい問題ですね。世代という括りにしていいかどうかも悩ましい。同じ世代であっても認識の違い、温度差があります。しかしそうは言いながら、各世代単位による解決法の違いもあったりします。例えば80代90代の方々を対象に、SNSでキーワードやフラグを出すわけにはいかない。コミュニケーションの方法に世代差があります。ただ、本質的なところでは、みんなに共通する問題を抱えている。お互いの共通性を探して認識する事が大事ですね。世代間・個人間の認識差を埋めることについては、やはりたゆまなく続けるしかないでしょう。例えば、気候変動の人為起源について「絶対の」証明はできないかもしれませんが、このまま突き進んだらどうなるか。取り返しつかなくなる前に、いまの状況で判断しなければいけない。絶対の証明を待つ前に危機を認識しないといけない。これを怠ると大変なことになります。そこに共通理解が求められ、コミュニケーションが必要となるコミュニケーションの方法はそれぞれの人の属するクラスターによって大きく違うと思いますから、その点、工夫が要りますね。



Welfareという共通項


もう一つのポイントとしては、「気候難民の厚生に資する産官学連携適応国際協力コミュニティ振興業務専門家会議」でキーワードになっているWelfareについての視点が大事です。地域によってどういうWelfareがダメージを受けているのかが違う。砂漠の地域、森林の地域、海に接している地域、都市。その人たちがもともともっている概念や範囲も違います。このあたりが画一的な議論にしていきづらい。そのなかで、Welfareをどう捉えるかといえば、福祉、教育、健康、労働でしょう。現代において、これを人間として享受しなければいけない、ということは共通して多くの人がある程度認識していると思います。地域差はあれど、ですが。では、こうしたことにどう対処するかという点で、先進国といわれている国々も、途上国もはっきりとした答えを持っていない。このように誰もが答えを持っていないときにこそ、新しい何かを創造できるのではないでしょうか。両者が参加して、新しいものを創り出すことでしか乗り越えられない事態もあるのかな、と思います。



 


地方と都会は先進国と途上国と相似形


小林:本当に新しいことを創り出すのが大事だと思います。南北の様子を見ていて思うのは、その縮図が日本にも見て取れるということ。例えばメガソーラーでも風力でも、都会や外部資本が入ってきますが、地元は潤わないという現実があります。地元が蚊帳の外になっている。こうならないように両者が答えをどう作るのかが大事だと思います。南北の問題については、途上国に対し先進国側から「ほどこし」をするというように見えますが、その背景には、正しいコミュニケーションになっていない問題が横たわっていると思っています。例えば、スマトラ島の地震津波があったとき、日本等が現地支援をしにいきました。被災者を調査してみると、彼らが津波災害そのものをあたかも「天罰」かのように捉えていたという調査結果があります。科学的な対応不足ではなく、天罰だとすることで彼らはメンタリティを保っていたことが分かったんですね。対策不足によって災害が起こったという、先進国での考え方をそのまま押し付けるような、相手を単なる「対象」としてみてしまうと、よいコミュニケーションになりません。災害支援だけじゃなく、気候強制移動もそうじゃないかと思っています。


新垣:これもまた重要な論点。気候だけじゃなく、国際協力全般でいわれている問題です。何のための国際協力なのか。表向きには途上国の発展ためだとか人道性だと言われても、リアリズムの観点からすると、むしろ援助側の国益であったりします。例えば、冷戦期には、人道・開発支援を与えることで対象国が共産化するのを防ぐという目的もありました。美しい支援が理想論で終わることもあるんです。国際政治や歴史の観点から国際支援の話をすると、大学1年生の中には動揺するものもいます。



気候正義という途上国からの声


新垣:一方で、途上国側が自主的に声をあげるという現象が顕著です。「Climate Justice(気候正義)」という言葉があります。「そもそも原因を作ったのは先進国のあなたたちじゃないのか」という主張です。気候正義の立場からすれば、開発途上国支援は決してチャリティではないんですね。むしろ義務である。大事なのはまずは、先進国側がその非を認めるということ。認めたうえで、原状回復が難しいならば補償をしなければいけない。国内の強制移動も、その文脈で議論し得るわけです。国内避難民に対する直接的責任は当事国政府です。ですが、そうした当事国政府を、そんな事態に追い込んだのは気候変動かもしれない。しかも、主たる責任は先進国側にあるのかもしれない。


小林:お聞きしていて、こうした重要な論点をいかに取りこぼさずに議論していくことが大事かなと思いました。このコミュニティのなかでその話をするのが解決策の一つだと思いますね。では、このコミュニティにはどういう人たちがいるべきで、どういう話題や取り組みがあるべきなのか。何が理想なのか、どう思われますか?




コミュニティのあるべき形


新垣:ここからはあくまで私見ですが、「気候難民の厚生に資する産官学連携適応国際協力コミュニティ振興業務専門家会議」でコミュニティを語るとき、そのあり方は多様だと思います。気候強制移住について、いろんな集団や学術的ディシプリンからの解析ができれば理想です。しかし、この会議は今年の7月に動き出したばかりで数か月しか経っていませんし、委員の数も限られています。もちろん、参加している委員のみなさんは大変実力のある方々ではあります。それでも、全員の専門領域は限られています。ただ、会議が取り組むべき対象として明らかなのは、気候強制移動のただなかで苦難の状況にある人達です。言い換えれば、この会議体の名称にある「厚生」に問題が生じる人びと。厚生とはつまり、健康や福祉、教育、労働などの社会的価値のことです。厚生に影響があることでその場所に居られない、その場所に居ることで危険に至る人々が対象です。私たちの会議の今は、プロフェッショナルが集うepistemic community(註:認識を共有するコミュニティ)と言えるかもしれません。根底にある信念や、政策志向を共有しているこのepistemic communityは、しかしむしろ、将来的に、そこから発展的に脱皮するのが理想です。近い将来、ある段階からは、強制移動を受ける当事者自身がこの会議に参加すべきだと思っています。今は、その土台を準備している段階だとも言えるでしょう。その土台作りの間、小林さんのような若い世代や異なる立場、幅広い研究者や実務家の卵などがどんどんこの会議に入ってくることが望ましい。「これをやりたい!」というものを持っている人たち、「やりはじめた」という人たちが集うような。そんな姿に向うよう、実体化が進めばいいなと個人的には考えています。



 

ものごとを包括する「環境のレンズ」


小林:先生のこれまでの活動や、周囲との認識の違いをお伺いしたいです。僕の場合は、小学生の時に公害問題を習ったことがきっかけで環境問題に関心を持ちました。当時まず習ったのは四大公害の問題で、これらは歴史的事象で解決したこととなっていますが、気候変動など環境問題は新たな局面に移って、僕の中に強い印象を残しました。しかし、自分と同じような教育をうけていても、同級生に同じように受け止めた人は多くありません。彼らが僕と同じ認識を持っていたわけではないので、同世代の間で共感を広げていくことには苦労してきました。



新垣:私は国際法が専門で、副専攻として国際政治学や平和研究などをやってきました。主に強制移動を調査する中で、環境や気候変動の問題が重なり合ってきました。それが15年ほど前のことで、当時、この問題は主に国外で語られていました。その中で、海外の研究者や実務家とネットワークができました。気候変動を含む「環境のレンズ」は包括的になってきていますね。いろいろな事象がバラバラに見えていても、それを繋ぐ役目としての環境のレンズがかかせません。例えば感染症一つをとってみても、予防の部分で注目されているのは生態系の維持・保護・保全です。人間と動物のソーシャルディスタンスをどう保つのか、人獣共通感染症をいかに防ぐのか、といった問題です。このように点でバラバラになっていた問題を線で繋げ、リンクさせて立体的に見える化していくことが必要です。こんなことは本来分かっていたはずですが、人間というのはおろかなもので、新型コロナのような危機が来ないと本気では取り組まない。2020年から、世界中で人々は、自粛や巣ごもりに見られるように、同一の行動をとりましたよね。我々が地球上で、これほどまでに共通の行動を同時にとったことはあまりなかったのではないでしょうか。皮肉にも、危機があって初めて一体化した感じがします。これは驚くべきことでした。このような経験をもとに、人類は、諦めずに学ぶことができると思います。戻りようのない大打撃が来てからでは遅いのだから。



多様は武器になる


小林:気候変動問題はマルチイシューで、捉え方が大事だと思いました。いろんな問題が積み重なるのではなく、気候変動問題というレンズを通すと重なって見えるというのが正しい捉え方かもしれないですね。では我々の捉え方の違いはどこからくるのかといえば、生き方などの価値観なのでしょう。こうした違うレンズで見る中でどうやって共通の問題意識を作っていくのか、掲げていくのか。これまで、若者の組織をまとめる立場の意見としては、「大きい組織に動いてほしい」と思っていました。例えば政治家にお願いするとか。しかし、そう考えることが問題を他者にゆだねてしまっている気がしてきています。ゆだねずに取り組みを実現させるのが大事だと思い始めています。違うレンズを持つ者同士が共通認識にするためには、どうしていけばいいのでしょうか。


新垣:個々の違いがあるのはむしろ有益で価値があります。しかし、多様性の中に潜む共通性や普遍性はありますから、それを自覚する。例えば命。どんな文化でも宗教でも、命は中心課題として扱われてきました。気候変動の見方や原因の現れ方の違いがあったとしても、生命や生活への影響という共通意識が持てるかだと思います。考え方はそれぞれ違った方がいい。多様であるにもかかわらず、共通性や普遍性があるのが大事だと思いますね。



 

ボランタリーは成り立つか


一枝:専門家会議の第一回の冒頭で、この組織の在り方が環境省から提示されましたが、そのことがとても印象に残っています。この組織は「専門家会議ではない、コミュニティだ。コミュニティには責任も義務もない。雇用関係もない。報酬は他者からの称賛だ。」と。ボランタリーなんだと。しかし、いま人口が80億を超え、資源争奪が始まり、気候変動に耐えうる土地だってこれから益々奪い合いになっていくはずです。そうした少ないものをめぐる争いが起きる中で、いったいどうやってボランタリーのコミュニティを育てていくんだろうかと単純に不安になります。しかしその一方で、私たちは阪神淡路のときも東北の震災の時も、いまの自分はこの危機に対して何ができるのかという意識をもって、他者を助けようとする気持ちに駆られた経験も持っている。人間のボランタリーの精神について、先生の見通しはありますか。



新垣:100年前のノーベル平和賞の受賞者が誰だかご存知ですか?フリチョフ・ナンセン、ノルウェーの探検家です。彼は北極探検家として知られていますが、初代難民高等弁務官でもあります。高等弁務官時代、彼は、外交官などから理想主義者として批判にもさらされました。「チャリティのことしか頭にない、レアルポリティーク(現実政治)を知らない人だ」と。そんな彼が、批判者に返した言葉がある。「チャリティこそレアルポリティークである」と。「慈愛こそが現実政治」だと。彼の思想の根底にあったのは、連帯の精神です。100年前といえば第一次世界大戦が終わった直後です。世界がバラバラだと再び戦争が起きる、各国が個別の利益だけ追いかけていたら、その危機に陥ってしまうのだと訴えたんです。要するに、難民はかわいそうだから助ける、ということではない。そういう人たちを排除し放っておくような社会になったら、やがて全体が壊れ、自分達の足元も崩れる。そんな社会では、平和も安全も持続しない。だから、ナンセンは、「チャリティこそレアルポリティーク」だと言ったわけです。単なる「可哀そう」という憐憫の情ではない。連帯の精神はやがて自分たちに繋がり、未来につながるんだと。


一枝:ナイジェリアで起きていることは日本から遠くない、という言葉と繋がりますね。そろそろ時間になってしまいましたが、先生から誠道さんへの質問はありますか?



小委員会やタスクフォースへ


新垣:あくまで私見ですが、もしこれから小委員会やタスクフォースのようなものが形成されれば、小林さんのような方々にはそこに入っていただいて、実働をしていただきたいですね。もしそういう枠がつくられたらどんなふうに動きたいですか?


小林:社会課題に関心を持つ多くの人は共通して、その「機会」に飢えています。なので、小委員会やタスクフォースへの参加ができるとなったら非常に嬉しい。僕たちが何かをやろうとしても、手が届くのは一人分の手の長さ。一人ずつの手の長さしかありません。なので、そこに差し伸べてもらう手があるのはとても助かります。そして、僕たちがそこに答えることで前に進むと思っています。そんな機会があれば必ず精力的にやっていきたいと思っています。自分の場合は、防災、減災がつよい関心領域ですのでそこで力を発揮できます。また、気候運動分野は自分たちだけで手を動かしてきたわけですが、タスクフォースという形なら、情熱をそのままに、アドバイスをもらいながら、優先順位を付けて挑戦できそうに思います。


小林:本日はありがとうございました。



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